・コメント
これは車丑の子さんから頂いた写真です。 1982年と1983年の写真。車丑の子さんからは以下のコメントをいただきました。 私の親父は車大工でした。 府中には、昭和30年以降(不確かです)2軒ありまして、新宿の 「車時」(現在は?)と私の親父の「車丑」でした。 (「 」内は屋号です) ちなみに、私の家は写真の撮影場所の小金井街道と旧甲州街道の四つ角の、「あいはら」さんの前でした。 なお、私の家は、現在引き払っています。 家の角の5〜6軒は、旧町名は八幡宿で、(昔は、競馬場側の道路は小道でした。) 町名が変わって宮町になったとき、新宿の方の付き合いはじめて、八幡宿との両付き合いしておりました。 親父は二の宮の太鼓が新調される前年の暮れに亡くなりました。 二の宮太鼓の新調の計画時、体力の関係で辞退しました。 (仕事がら、祭り大好き人間で、自分の寿命が分かっていたと思います) 府中(講中の近郷は殆ど府中製のはずです)の太鼓の車は独特のため、浅野の太鼓屋に、作り方を伝授しております。 従って、二の宮の太鼓の新調以降、太鼓は浅野になったとの様子わかります。 また、府中の各町の山車(今は増えましたね)の台車の部分も作っております。 各写真のコメントは筆者の物です。 |
車丑の子さん貴重なお写真をありがとうございました。
太鼓の台車でおなじみの車丑さんの縁の方と言うことで、筆者もびっくりしました。 また、なにか思い出話がありましたらメールでもいただければと思います。 |