六郷神社祭礼2006−祭り好きの隠れ家

 
 
2006年6月4日 大田区 六郷神社祭礼



六郷神社のお祭りに呼ばれてきた。これは呼ばれた先の町会神輿。
南六郷三丁目の神輿で、重さは1200kgだそうだ。
台輪は3尺から大きくても3尺5寸ほどだろうか。見かけよりも重いことになる。
 

屋根は銅葺き。屋根の大きさの割に胴は細い。
 

出発前。
 

木が入って神輿が上がる。
 


神輿は神社へ向けて巡行を開始。
 

普段は江戸前で担ぐ。要所ではヨコタという羽田近郊特有の担ぎ方を見せる。
 

休憩。
 

再度出発した神輿。
 


前が抜け、うまい具合に鼻棒へ。
 

六社の大紋が固まって。
 



次の休憩所を目指して神輿は進む。
囃子はテープで流しているが、太鼓の音もなく、それが少々寂しい。
 

ここで休憩。
 


ヨコタ。東京音頭が突如として唄われ、それが合図となる。
本天だけに担ぎ手が神輿を挟んで向かい合うように残る。
4本ついたトンボに人が横から取っつき、神輿を大きく左右に振る。
トンボに取っついた人間は、神輿渡共に大きく飛び、大きく沈む。
船が波に揉まれる様を表したものという。決して羽田が近いから飛行機を・・・ではない(笑)
 


神社が近い。
 




東京音頭ばかりではなく、なぜか「もしもしカメよ」が唄われることもある。
歌が終わったあと、「ヨコタでおいでイチ・ニ・サン」を合図に神輿は揉まれる。
 

他町の神輿渡すれ違う。
 


鳥居前。
 

六郷神社。社伝によると源頼義・義家親子の創建だという。元々は八幡神社と称して応仁天皇、神功皇后、 比売大神を祭っていたという。
しかし、曳船祭で一座の神輿が上総国に流され、もう一座の神輿は荒神でしばしば祟りを受けたので土に埋めてしまったとのこと。
そして二柱の神様は居なくなり、現在の祭神は応仁天皇一柱のみとなっている。
徳川家康から受けた社領は18石だそうで、当時、武蔵国随一の六社明神は500石で大宮の氷川神社が300石だった
これらとは比較にならないが、幕府から与えられる社領は数石から十数石程度が普通であったようだ。
また、社領を与えられたことに加えて、慶長5年に六郷大橋の竣工を祈って願文を奉り、神輿にて渡初式を行ったとのこと。
これをもって徳川葵を使う根拠としているようだが、徳川家とこの程度の繋がりがある神社は多くあり、より強い結びつきを持つ神社も少なくない。
したがって、このあたりは少々曖昧な印象を受ける。旧社格は郷社。創建年代から解るとおり、延喜式外社である。
 







神社の前にて御霊を抜く。その前にヨコタ、最後に神輿をさす。
 


木が入り、神輿はいったんおさまる。
 

神官が御霊を抜く。一応、神体を隠すが、幕で覆うわけでもなく衣装の袖で覆うだけだった。
 


町内へ戻る神輿。
 

休憩。
 




これで最後。
 


木が入り、巡行も終わり。
 

逆光。銅葺きの屋根が光る。
 
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